同期会・クラス会・OB/OG会
 
 
 
30年ぶりのホームルーム

富田 剛(18H)


 一昨年末、砂場(哲郎)アレンジによる10数年ぶり?のクラス会席上、丹伊田先生の「何か、昔のホームルームと変わらんなー」という言葉で、「次回は附属高校でホームルームをやろうか」と、山口(光男)・徳永(薫:現姓吉田)両名とともに幹事拝命。

 丹伊田先生が副校長であることをいいことに、昨年11月24日連休の真ん中に附属高校2階の旧2年H組教室を開けていただき、先生にホームルームの講話を依頼するなど、“おんぶ”に、それから、先生が大切に保存されていた(皆、感激)、高校2年辛夷祭(1972年)の“公害の研究”発表時のセピア色の模造紙、高校3年辛夷祭(1973年)の墨書の“暴力展”垂れ幕、を黒板に貼ったり、まさに“抱っこ”。

 おかげで、前年よりもさらに数名多い30名参加。

 当時のホームルーム委員神津(里季生)の点呼で始めたが、「酒巻(弘和)たちが多摩川までいって汚い水を汲んだりしてたなー(公害の研究:「この時、一生懸命やってるから仕方なく辛夷祭のコンクールを始めたんだ」先生談)」とか、「“仁義なき戦い”風の暴力団映画をつくろうとしたら石川(浩子:現姓佐藤)とか女子に「出番がない」と反対されて研究になっちゃったんだ(暴力展:結果 は、2年連続展示部門優勝だったが)」とか、教室の窓の外の銀杏をみながら「放課後の掃除をさぼって塾へ行く人に、黒埼(敦)や平賀(幸一)と窓からバケツで水かけたりしたなー」とか、個人的にも思いは巡る。

 そうしながら、先生の「30年ぶりのホームルーム:附属高校に居座って30数余年何をやってきたか」の話を聞いて、先生の化学教育を通 じた“科学として不断に教育していく”熱意と思いが伝わるとともに、“若い、頑張ってる、負けられない”。

 先生にとって“はじめての担任”であった皆、神妙に聞いていた。

 学芸大学駅近くの欧風食堂での懇親会(会津清川の杜氏“佐藤浩子”の美酒もあり)や駅前のカラオケも含め、皆、特に何を話すというのでもないのに、名刺交換などほどほどに“顔をあわせた途端昔の気分”、とともに、いろんな経験と到達点を経て、あらためて“若い、頑張る”という感じ。誰かの「気分が落ち込んで、薬を飲んだり、いろいろあって、クラス会も“何だか元気な人ばかりじゃやだな”って思ってたんだけど、今日、来てみて本当によかった、ここからまた出直していける気がする」という発言が印象的。

 先生、お世話になりました。

 いろいろ変わり目の日本ですが、引き続き、“あの時のホームルームの感じ”で、そして、“公害と暴力を戦闘的に自由に科学した精神”で。
(文中:先生以外は敬称略)

 

参考ホームページ
会津清川杜氏佐藤浩子: http://www3.ocn.ne.jp/~kiyokawa
〜おいしい日本酒が頼めます。

18Hクラス会(山口光男): http://www.horae.dti.ne.jp/~mitch24/newpage1.htm
〜いろんな写真が見られます。

 
 
 
26期 G組
同窓会報告


 

新高輪プリンスホテルで開催されました附属高校同窓会当日、今年定年退官となられます中山修敬先生をお迎えして、26期G組のクラス会が開かれました。我々26期生は今年、卒業20周年にあたり、好天に恵まれた当日には各界で活躍中の超多忙な懐かしい面 々が沢山集いました。

<先生の面影>当日、附高の幹事会の為に少し早めにロビーに到着し、電話を掛けていると、そこに中山先生がいらっしゃいました。ショルダーバックも眼鏡も、斜めに構えてやや遠慮がちに優しく静かにお話される感じも全て昔のまま。自分はすっかり変わってしまったのに先生が昔のままそこにいらしたので不思議でした。  <タイムトラベル>同窓会は、責任のある仕事を抱えている大の大人が一瞬にして高校生に戻り皆嬉々としてしまう不思議な異次元空間です。

<大切な記憶>夜半までマスコット作成に情熱を燃やしていると中庭に暗闇を待っていたかのごとくにコウモリが飛んだ体育祭の頃。空き缶 を信じ難い程集めて「この一瞬の為に」という凄い壁画を作っている先輩達の前衛的な活動を憧れの眼差しで見つめた1年生の日々。サッカーの試合に負けたといって突然長髪から丸坊主になってしまった彼とそれを嘆く彼女達。オフコースのさよなら、拓郎の旅の宿、ポールモーリアの真珠の首飾り、サザンのいとしのエリーが心に残る2年生の冬。下北行きのバスの停留所の凍てつく寒さと三軒茶屋までの道のり。受験そっちのけで辛夷祭の用意に走り回り、歌舞伎練習を重ね辛夷杯を頂いて盛り上がった3年生の秋。

<平和な親しさ>それにしても結構今凄い肩書きね、あの頃丸坊主だったのに東大卒さ、と笑いあう二人。人生捨てたものじゃない、最近素敵な出会いがあったのと嬉しそうに話す彼女。国立大学の先生なんて凄すぎるよ、子供が今度附属中学受けるなんて嘘みたい、女房に似て子供は可愛くて良かったんだ、流石にこれだけキャリアを積んでると会社で重要な存在この道では権威なのよ、大学で女生徒の人気の的の助教授!、沢山の部下を持つ官僚なんて凄いよ、などと率直に自慢しても嫌味にならない間柄。ママそっくりの可愛い赤ちゃんを抱っこして来て今も昔も人気の的の彼女。昔から英語が得意だったけど、英語で海外取引までするキャリアウーマンは凄いぞの彼女達。附高時代からの彼と結婚して今だに仲良しの秘訣は携帯メールなの!とか。紙面 では表現しきれないほどのそれぞれの幸せが、ことのほか温かな空間を醸し出し、2次会には中山先生にF組の長坂先生もご一緒されてホテル最上階ラウンジにて和やかに附属高校時代の話に花が咲きました。

<再会の約束>再会する時、また沢山の活躍したエピソードを報告し合えるように、1年間元気に頑張りましょう。さよならしても、再び自分はこの場所へ必ず戻って来ると思える安堵感。一瞬のワープの爽快感とお互いの活躍が心底喜べる比類無き親しさ。同じ風景を見て同じ時空間を共有した存在は極めて稀有な、ありがたき関係なのだと思います。それでは皆様、また次の同窓会でお会いする日まで、お元気にご活躍下さい。さようなら。

 
 
 

ホッケー部報告

渡辺孝雄(12E)


  ホッケー部には男子チームと女子チームとがあります。従いまして卒業生の組織もOB・OG会ということになります。

 ホッケー部創立35周年を迎えた2001年、久しぶりにインター杯出場のチャンスが巡って参りました。このところ女子チームの方の成績が良かったのですが、春のリーグ戦で男子チームが都大会優勝(女子チームも準優勝)し、6回目のインター杯出場をかけて関東大会へ進出しました。

 附高ホッケー部OGで、現在は附属高校で教鞭をとっている田中監督の指導のもと、山梨県白根町での大会にのぞみました。OB・OG会では、この遠征に少しでもお手伝いしようと、小額ながらの援助金を、校長先生、教頭先生にお届けしました。

 関東大会では惜しくも敗退し、インター杯への夢は果たせませんでしたが、実力的には東京都で常にトップクラスにある附高ホッケー部(男女とも)には、2002年のシーズンも期待がもたれます。その節には皆様の応援をよろしくお願い致します。

 なお、12〜16期のOBが中心となって、OB・OG会総会の準備を進めています。20期代、30期代のOB・OGの方々でご協力下さる方のご連絡をお待ちしています。


絡先:〒116-0012 東京都荒川区東尾久8-32-7
             渡辺孝雄
            TEL&FAX 03-3893-3203
 
 
 
バスケット部報告

河野健吾(17D

 

同窓会幹部の方から、「男子バスケット部OB会は活発に活動している」と言われることがありますが、男バスOB会の歴史は実はそれほど深くありません。

 
以前の学生OB等による現役指導・区民大会出場・ゴルフコンペ・飲み会などの個人活動を「OB会」として組織しようという動きが出たのは1991年でした。きっかけは、当時の顧問・蛯原志郎先生の退官が1年後に迫り、先生退官後はOBの求心力が一気に低下してしまうという危機意識でした。

 13期・杉崎年英氏を中心に10期代・20期代の有志が集まり、OB会規約や活動方針の検討、幹事会の発足などを経て、第1回総会を開催したのが1991年7月(於:三笠会館)でした。以来、初代会長・杉崎氏、2代目・田岡達朗氏(14期)、3代目・河野そして現在の岩橋健治会長(20期)の下、徐々に活動を発展させてきました。

OB会として実施している主な行事は

1. OB会総会…… 年1回開催、先生方を含む年寄り(?)から若手まで多数出席

2. ゴルフコンペ…… 年2回開催(夏・冬)、年輩OB中心、5組程度参加

3 .世田谷区民大会への参加…… 年2回参加(春・秋)、若手中心、昨年はBEST4進出

4. 現役チーム支援……コーチの派遣、寄付他

5. OB会名簿の発行……2年に1回発行

6. OB会報の発行……不定期、年2回程度

7. 現役とのOB戦開催+飲み会…… 年2回開催、若手主体 などです。